歌手やテレビ番組の司会を務め、幅広く活躍している和田アキ子さん。
面倒見がよく親しみやすいキャラクターで、様々な芸能人から「姉御」と慕われています。
そんな和田アキ子さんですが、若いときは意外にも(?)「超可愛い!」と言われていたのです。
今回は、和田アキ子さんの若い頃について調査しました!
ぜひ、最後までご覧ください。
和田アキ子のデビュー当時からの画像を時系列でまとめ
和田アキ子さんは現在、歌手やバラエティ番組の司会など、幅広いジャンルで活躍していますよね。
そんな和田アキ子さんのデビュー当時から、現在に至るまでの変化を時系列で見ていきましょう。
デビュー時:1968年『星空の孤独』(18歳)

念願だったデビュー作だったのですが、期待されていたほど売り上げが伸びなかったそうです。
若い頃はとても可愛くて、石原さとみに似ているとの声もあがっていました。
高身長でスタイルも抜群、「カッコイイ女性」という表現がぴったりですね。
知らない方も多いと思いますが、和田アキ子さんは在日韓国人で、出生名は「金福子」です。
和田アキ子の若い頃。
— mike_wo (@mike_wo) March 27, 2020
すごくクールでヒップ。圧倒的なリズムと歌唱力でそりゃもうかっこいい。
いつから髪型固定でおとなしめファッションになっちゃったのかな。
この路線の今のアッコさん見たかったよ pic.twitter.com/ti09gmUEvA
和田アキ子さんの父親は料亭を経営し、柔道の指導もしていました。
昔かたぎの職人気質で、父が家では絶対的な存在だったそうです。
子供は全員敬語で接し、和田アキ子さんは「女の子だから」と、毎晩晩酌に付き合わされていました。
ずっと正座でお酌をし続けなければならず、理不尽に暴力を振るわれることも多々あったそうです。
幼い頃から柔道を習っており、中学1年生で柔道初段の腕前となった和田アキ子さん。
中学1年生で家出をして、喧嘩・お酒・タバコに明け暮れていまいした。
しかし当時英語の授業が分からず、悔しい思いをしたそうです。

そこで、レコード店で洋楽のレコードを購入し、何度も聴いて英語を覚えるようになります。
その後、私立の高校に入学したのですが、わずか3日間で父が退学届を提出。
しかし、その後ホリプロの社長にスカウトされたことで、一躍スターダムを駆け上がります。
1969年:2ndシングル『どしゃぶりの雨の中で』(19歳)

2ndシングル『どしゃぶりの雨の中で』の、和田アキ子さんです。
当時の写真を見てみると、ドキっとするほど可愛いですよね。
当時の和田アキ子さんは、「和製のリズム&ブルースの女王!」というキャッチコピー。
歌唱力や声量も半端なく、MISIAさんのようなゴスペルがすごかったんですよね。
上京当時は生活が貧しく、社長の家に下宿し、直々にレッスンを受けていたそうです。
ただ、社長に気を使ってご飯のおかわりができず、いつも空腹状態でした。
そこで、近所のすし屋で『ちらし寿司3人前を食べきったら無料』という企画にチャレンジ。
吐きながら無理矢理食べきっていたそうですよ。
当時から姉御肌で、ゴッド姉ちゃんと呼ばれていた和田アキ子さん。

なんでも、歌手デビューする前は舎弟たちを20人引き連れ、道頓堀を練り歩いていたとか。
和田アキ子さんは空手と柔道を習っていたので、心斎橋から放り投げられた男が大勢いたという伝説も。
道頓堀では「ミナミのアコ」と恐れられていましたが、そこからスターになるとはすごいですよね。
1970年:『笑って許して』(20歳)

1970年にリリースした『笑って許して』の、和田アキ子さんです。
レトロな髪型がよく似合い、色気があって美しい姉御です。
1972年:『あの鐘を鳴らすのはあなた』(22歳)

1972年にリリースした『あの鐘を鳴らすのはあなた』の、和田アキ子さんです。
一躍トップアーティストの仲間入りを果たしました。
しかし、このときから先輩から嫌みを言われたり、いじめを受けていたとか。
わざとお茶をかけられたり、靴にマジックで「バカ」と悪口を書かれ、悪質ないじめだったそうです。
なんと、レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞したときの花束も、菊の花だったそうですよ。
ひどすぎますね・・・
それでも和田アキ子さんは負けずに、スターの道をかけあがったのです。
1973年:『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(23歳)

1973年、『金曜10時!うわさのチャンネル!!』に出演したころの和田アキ子さんです。
和田アキ子さんはバラエティ番組に出演するようになっていきました。
そして、タレントを鍛えるため企画を仕掛けていく『ゴッドねえちゃん』に扮します。
『和田アキ子=乱暴者』とイメージがついたのですが、人気タレントとしての地位も確立します。
「デカい・コワい・強い」というイメージが全国区となり、姐御肌のキャラクターはたちまちウケたのです。
さくら家が話してた和田アキ子の髪型は、おそらくこれ
— shittch@札幌延伸早よ (@shittch) May 16, 2021
若い頃は、確かに美人だよね〜。
#ちびまる子ちゃん pic.twitter.com/0vsPKyXjIF
しかし、1979年には強引に降板を申し出、打ち切りとなってしまいました。
和田アキ子さんは、「ゴッド姉ちゃん」のイメージを嫌っていました。
また、歌手活動に専念したい思いがあったようですね。
この時、レギュラー出演していたバラエティ番組も全て降板してしまったそうです。
1974年:『古い日記』

1974年にリリースされた『古い日記』の、和田アキ子さんです。
この楽曲も大ヒットを記録し、和田アキ子さんの代表作のひとつとなりました。
長身でスタイル抜群の和田アキ子さんは、ロングドレスがとてもよく似合っていますね。

日本人離れしたスタイルで、報道陣を魅了していました。
1981年:カメラマンと再婚(31歳)

現在の夫と結婚したときの、和田アキ子さんです。
和田アキ子さんはプライベートで、2度結婚をしています。
1977年にマネージャーの男性と結婚していますが、スピード離婚。
その後、1981年にカメラマンの飯塚浩司さんと再婚しました。
和田アキ子さんは子供が大好きで、子供をさずかるのを望んでいたのですが、結婚直後に子宮がんが発覚。
そのため、子宮を全摘出と判断され、泣く泣く子供を諦めたそうです。
現在も2人は、おしどり夫婦として仲良く暮らしています。
和田アキ子と旦那についてはこちらもチェック!

現在
現在は芸能人のご意見番として、すっかり大御所タレントの貫禄をみせている和田アキ子さん。
バラエティ番組を降板した際はテレビ局が出禁になることもありましたが、現在はすべて解決されています。
1980年代以降は「アッコにおまかせ!」でMCを務め、紅白にも出場。
歌手とタレントの仕事を両立しています。
バラエティ番組を通じ、明石家さんまさんやダウンタウンなど、多くの大物芸人と仲良しですね。
怖いイメージのある和田アキ子さんですが、誰とでも仲良くなれる優しい方なのでしょう。
和田アキ子さんはデビュー50周年を迎え、70歳を超えるとは思えないほどのパワフルさですよね。
和田アキ子についてはこちらもチェック!


まとめ
今回は、和田アキ子さんの若い頃について紹介しました。
若い頃は可愛さとかっこよさをかねそろえ、「和製のリズム&ブルースの女王」と呼ばれていました。
昔からスタイル抜群で、パワフルな歌声で世を魅了していたのです。
今後の活躍も楽しみですね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。