モデルやタレントとして活躍している、滝沢カレンさん。
独特の日本語の言い回しや、天然キャラでバラエティ番組にひっぱりだこですよね。
そんな滝沢カレンさんですが、母の宮沢さゆりさんも有名人だったのですね。
今回は、滝沢カレンさんの母・宮沢さゆりさんについて、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
滝沢カレンの母親の経歴が凄い!
滝沢カレンさんの母・宮沢さゆりさんは、ロシア語の通訳とバレエ教室の経営者をしていました。
その経歴がすごいと話題になっているので、順番に見ていきましょう。
幼少期

滝沢カレンさんの母・宮沢さゆりさんは、1962年に埼玉県で誕生しました。
幼いころからバレエにあこがれていて、習いたいという気持ちが強かったのですが、ご両親がやらせてくれなかったそうです。
そのため、自分でコツコツとお小遣いをためて、近所のバレエスタジオに内緒で通っていたそうです。
そんな中、「ボリジョイバレエ」が近所に来たことがきっかけで、カルチャーショックを受けます。
今まで習っていたバレエとは違い、「これが本物のバレエだ!」と、衝撃を受けたそうです。
その違和感は、ロシア語を習えば分かるかと思い、ロシア語を勉強し始めます。
しかしまだ幼かったので、ロシア語の勉強はどうしていいか分からず、両親に相談します。
すると、「バレエを辞めたらロシア語を習わせてあげる」と、交換条件を出されたそうです。
高校卒業後に語学留学へ

バレエかロシア語かの二択を迫られた宮沢さゆりさんは、ロシア語を選びます。
高校卒業まで独学でロシア語を学びながらも、内緒でアルバイトをして、語学留学費用をためていました。
そして、高校卒業魏に、自分のお金で「ソビエト」に留学したのです。
「日ソ学院(東京ロシア語学院)」に通われていたということもあり、ロシア語がペラペラなんですね。
留学してからは学校の授業は二の次で、バレエ公演のある日は毎回ボリショイ劇場に通っていたそうです。
しかし、ロシア語はほぼ独学で習得し、通訳としても活躍できるほどになりました。
帰国後は通訳の道へ

宮沢さゆりさんは日本に帰国した後、通訳として仕事を開始しています。
初仕事が、ロシアのバレエ講師のレッスンだったそうで、とても幸運だったといいます。
先生の教え方を見て、「この教え方があの素晴らしい舞台につながっているんだ!」と思ったそうです。
そして、カルチャースクールでロシア人の先生がバレエを教えることになり、すぐに習いに行きます。
ロシア人の先生に密着して本を制作することになり、だんだん「なぜこの教え方が日本でできないのか」と、疑問を抱くようになります。
母である宮沢さゆりさんの行動力は、とてもすごいですね。
バレエ教室の開設

通訳とバレエの勉強をする日々を過ごしていた、宮沢さゆりさん。そんなある日、父が病気で倒れてしまいます。
宮沢さゆりさんの父は、建築事務所を経営していたのですが、事務所も閉業せざるを得なくなりました。
建築事務所があったテナントが開いたので、宮沢さゆりさんはそこをバレエスタジオに変えてしまったのです!
それが、現在もあるバレエ教室「リビーナ」です。
滝沢カレンさんの
「生まれた喜びは、きっと私より母が感じること」ってところ確かに!ってなった。 pic.twitter.com/zZA8Q90RTT— むり (@bassa100) May 13, 2021
人脈が広かったので、たくさんのバレエ講師に声を掛け、半ば強引に「リビーナ」をオープンさせたそうです。
バレリーナにはなれなかったものの、バレエに関するお仕事が出来て本当に嬉しく思ったことでしょう!
「バレエスタジオ リビーナ」で働いているのは、ロシア人講師なので、宮沢さゆりさんが通訳をしていました。
滝沢カレンさんも幼少期にスタジオに連れていかれて、カタコトの日本語を話すロシア人が常に身近にいました。
そのため、滝沢カレンさんが妙な日本語を話すようになったのでは?と言われています。
「自炊してるの」
と母から連絡が来たので
「してるよ」
と答えたら
滝沢カレンさんの台所が届きました。このレシピ本、どちらかというと読み物でした。
日本語を英語に自動翻訳してまた日本語に水で戻した様なおかしみのある素敵な文章だったよ母さん。#カレンの台所 pic.twitter.com/3apwJ1OJRP
— 石井寛人 (@hirotoIC) May 24, 2020
宮沢さゆりと滝沢カレンの父との馴れ初めは?

滝沢カレンさんの父親は、ウクライナ人なので、滝沢カレンさんはウクライナ人と日本人のハーフになります。
母国語は、ウクライナ語で、常用語は日本語になるようです。しかし、英語はまったく話せないようですね。
滝沢カレン(1992年5月13日東京都生30歳)
170cm
スターダストプロモーション所属
『ミスセブンティーン2008』グランプリ
『Oggi』専属モデル
父はウクライナ人,母はバレリーナの宮沢さゆり
出生前に両親は離婚,父とは会ったことがない.#ふらっと954 @flat954 #滝沢カレン @Kiire_Tomohiro @45sawa72 pic.twitter.com/aDN6qTgz9B— まんのじ (@man_no_ji0) July 31, 2022
宮沢さゆりさんが、ロシアに留学していたときに、留学先で父に出会い、結婚します。
それから日本で結婚生活を送っていたのですが、宮沢さゆりさんが妊娠中に、父親が浮気をしてしまいます。
このことが原因で、離婚することになってしまいました。そのため、滝沢カレンさんは、父親に会ったことがありません。
「超ハッピーな生き別れってやつです。知りもしない。お腹にいるときに生き別れ。」
ツイッターより引用
たとえ。父親がいなくても、宮沢さゆりさんと幸せに暮らしていたので、何も問題なかったのでしょうね。
離婚の理由を知ってからも、滝沢カレンさんは、「父親とは一生会わない」と断言していたそうです。
宮沢さゆりさんは、ウクライナ人と離婚していますが、ウクライナ人自体は好きなようで、「ウクライナ人の彼氏がいる」とも話していました。
滝沢カレンの母親が亡くなった原因
宮沢さゆりさんは、2018年7月にがんのためこの世を去っています。56歳という若さでした。
ガンの種類は明かされておらず、宮沢さゆりさんはもともと病院嫌いだったので、体調が悪くても病院に行かなかったそうです。
滝沢カレンちゃんのインスタ結婚報告ついでに他の投稿もみたんだけど
カレンちゃんの言葉がすごく素敵で言葉に人柄が現れてて素敵な人だなって思った🥺♥生まれて一番最初に母からもらったプレゼントは自分でした。なんてそんな言葉でてこない🥺本当素敵 pic.twitter.com/wSn6kb0X2e
— 片岡大好き症候群 (@smk_uw12) July 5, 2022
そのため、がんがかなり進行していて、見つかったよ期にはすでに末期だったようです。
当時は滝沢カレンさんがタレントとしてブレイクし、バラエティ番組に引っ張りだこだったときでした。
かなり多忙を極め、宮沢さゆりさんが亡くなったときも、仕事が詰まっていたようです。
そして、事務所のスタッフやごく親しい人にしか、母の死を伝えていませんでした。
一人っ子であったため、滝沢カレンさんが、宮沢さゆりさんの喪主を務めました。
滝沢カレンさんは、結構なペースでインスタグラムを更新していましたが、当時は20日間ほど更新がありませんでした。
この投稿をInstagramで見る
亡くなる直前まで同じマンションに住んでいたということで、そのショックは計り知れないでしょう。
「またママの子として生まれてきたい」と、涙を流していたそうです。
とてもつらかったでしょうが、仕事に穴をあけることはなく、視聴者には笑顔を見せてくれていたのですね。
まとめ
今回は、滝沢カレンさんの母・宮沢さゆりさんについて、紹介しました。
幼いころからバレエの世界にのめりこみ、独学でロシア語を習得し、留学もしていたバイタリティにあふれる方でした。
ガンが原因で亡くなっていたようで、母一人子一人で生きてきたので、滝沢カレンさんの悲しみも計り知れないですね。
これからの活躍にも注目ですね。最後まで御覧いただきありがとうございました。